伝統芸能

花巻春日流鹿踊

花巻春日流鹿踊

花巻春日流鹿踊

花巻春日流鹿踊

宮沢賢治もこよなく愛した鹿踊
国内はもとより遠く海外でも公演している

鹿踊は次のような起源を持ちます。

人皇六十二代村上天皇の天暦5年、京都東山の六波羅蜜寺の開祖空也上人が庵をたて修行の際、庵の近くに現れ戯れ遊ぶ八頭の鹿を可愛がられていました。九月十六日に狩人が矢を打ち一頭の鹿を射殺します。空也上人は哀れに思い、鹿の亡骸を貰い受け埋葬し、村人に皮を着せ鹿の戯れる様に、赤、黒、白、角鹿飾、幕、水引や袴、笛や太鼓や歌で弔ったのが鹿踊の始まりといわれています。

その後、武蔵国豊田村(東京都日野市)の清左ェ門という人が陰陽の鹿を作り、四十六の定めを置き、現在の踊りの形が出来たといわれています。鹿踊には色々の流派があり、岩手県内には藩政時代に行山流、金津流、春日流が、胆沢、江刺郡を経て和賀、稗貫郡に伝えらました。現在、花巻では岩手県花巻市春日流鹿踊保存協議会として落合、上ノ山、湯本、八幡、鍋倉、八日市の6団体が活動しています。昭和49年(1974)には県の無形民族文化財に指定されています。

太鼓を自ら打ちながら踊る太鼓踊り系の鹿踊りは、踊り手8人と太夫と呼ばれる踊りの解説者1人の9人で構成され、礼で始り礼に終わるのが基本です。鹿の群八頭には首領がいて、中立(なかだち)と呼ばれ中央に立ちます。中立が先導する太鼓に合わせて踊が変化します。衣装にはササラ、お面、幕、ナギス、太鼓、袴の20キロを身につけ、太鼓を打ち鳴らし歌う、一人三役の勇壮な踊りです。

演目には、一番庭踊り、二番庭踊り、案山子踊り、お鞍踊り、屋形踊り、綱踊り、露喰み踊り、鉄砲踊り、お馬屋踊りがあり、一つの演目時間が約40分。一つの演目を習得するのに2年を要し、昔は、親から子に教えられたそうですが、現在は各地区で集まり練習が行われます。この基本の修練を重ねた結果できる踊りです。毎週土曜に練習する子供や女性の熱心な踊り手もいるそうです。

宮沢賢治もこよなく愛した鹿踊。国内はもとより遠く海外でも公演しています。鹿踊の魅力を存分に見るなら、毎年9月の第二土曜前後2日間行われる花巻まつりで、県内の団体が揃い、各流派の踊りを見ることができます。